手段と目的について
円山琢也「未来の交通計画を支える技術と人づくり」交通工学 2025年10月号 (Vol.60, No.4) を興味深く読んだ.この論説の内容は概略以下の通りである.(実際の論文は著者の体験に基づいてもっと詳細にかつ情感を込めて記述されている.)
論文全体としては,交通計画分野における人材育成と技術活用の問題を需要予測技術・新技術導入・計画制度という三つの側面から論じている.まず,理論的には利用者均衡配分などの高度な手法が望ましいとされながら,実務では依然として日単位の分割配分が広く用いられている現状を批判する.その背景には,国のマニュアルへの依存や制度的インセンティブの欠如があり,技術的合理性よりも慣行が優先されている可能性を指摘する.技術者の知識向上だけでは不十分であり,制度や組織が変わらなければ,新しい技術は実務に定着しないという構造的問題が示唆される.
次に,新しい予測技術の導入についても無条件に肯定すべきではないと論じる.ある都市圏の都市交通マスタープランの策定に向けて,アクティビティ・ベースト・モデルが導入された事例では,対象地域の政策課題や実行体制との適合性が十分に検討されないまま高度な手法が採用され,モデル構築に時間と労力が費やされた結果,肝心の政策検討が遅れるという本末転倒が生じたとされる.モデルは,計画策定を支援する手段にすぎず,最終目的は社会課題の解決である以上,対象地域の特性や関係者の能力に応じた実行可能な技術選択が重要であると強調される:
モデルを構築することは目的ではなく,あくまでプランづくりを支援するための手段である.さらに言えば,プランづくりそれ自体も中間目的にすぎず,最終的な目標は,策定されたプランに基づき実効性のある政策を実行し,社会課題の解決を達成することにある.(p.5)
最後に,こうした問題の根底には,計画制度そのものの不備があると指摘する.現行制度では,例えば公共交通への転換を促す都市交通計画の機能が弱く,予算配分や事業選択に歪みが生じやすい.また,調査・予測技術に重点が置かれる一方で,市民参加や合意形成といった計画の実質的プロセスは相対的に軽視されがちである.著者は,最善の技術の共有・プロジェクトに適した手法選択・制度改革を並行して進めることが,実効性のある交通計画と技術者育成の双方に不可欠であると結論づけている.(要約終わり)
わたしの普段の研究は実務からやや距離があり,経験も浅いため,円山教授の論説に対して何か書くのも僭越ではあるのだが,感じたことを簡単に書き留めておきたい.本論説はより実務寄りの文脈を対象としているものの,全体を通して強調されている「技術の自己目的化」に類する傾向が研究活動にも存在することは否定できない.知りたいことが先にあってデータを取りに行くようなスタイルはともかく,鮮やかな識別戦略や精緻な構造モデルが評価されやすい出版環境の下では,研究テーマ自体が使いたい手法に適合する形で選択されることもあるだろう.もっとも,興味深い研究とは,単に高度な方法を用いるだけでなく,その方法によって従来は答えられなかった都市・地域の問題に新しい視角を与えるもののように思われる.
一方で,分析手法そのものが新しい政策議論を可能にするような方法論開発の研究であれば,それはどのような問いを扱いうるかという探索空間を規定する基盤でもある.できることなら,そのような研究をしたいと思うが,今のところそこに至っておらず,ただやれることをやっているというのが実情である.さらに,上記で引用した部分については個人的に大いに同意するところではあるものの,目標先行が行き過ぎて Policy-based Evidence Making に陥らないようにすることは,技術者・研究者倫理として極めて重要であると感じている.